最高裁判所第一小法廷 昭和33年(オ)968号 判決 1960年2月25日
〔解説〕父母が親権を共同行使している場合において、父母の一方と子との利益相反行為につき、誰が子を代理としてこれを行うべきかについては、
第一 共同親権者の他の一方が単独で代理し、特別代理人の選任を要しないとの見解(注一)と、
第二 特別代理人の選任を要し、その特別代理人と共同親権者の他の一方とが共同で代理するとの見解(注二)と、
第三 特別代理人の選任を要し、その特別代理人が単独で代理するとの見解(注三)とが対立していたことは、周知のところである。
右の第一、第二説は、いずれも、「親権者は他の親権者につき生じた個人的事情によつて、自己の親権の行使を妨げられる理由はないから、共同親権者のうち利益の相反しない他の一方は、なんらその親権の制限を受けないものと解すべきである」との見解を前提としながら、第一説は、「民法第八一八条第三項但書の規定に則り、共同親権者のうち利益の相反しない他の一方が、単独で親権を行使すべきものであり、したがつて特別代理人の選任を要しない」との結論を導くに対し、第二説は、「同条によつて親権の単独行使が許されるのは、これによつても子の利益の保護に支障を来さない場合に限られるべきであつて、子と共同親権者の一方との利益が相反するような場合には、子とは利益の相反しない他の一方の親権者も、夫婦間の情愛にとらわれ、子の利益の保護のみを純粋に判断して子のために親権を行使することはできないものと解すべきであるから、このような場合は、特別代理人の選任をえたうえで、この特別代理人と共同親権者の他の一方とが共同で代理すべきである」とするものである。これに対し、第三説は、「子と親権者の一方とが利益相反する場合には、形式上子との利益の相反しない共同親権者の他の一方といえども、子と利益の相反する他方の影響を受けることなしに子の利益の保護を計ることは難しく、また適当でないから、むしろこのような場合は、共同親権者はともに親権の制限を受けるものと解すべく、したがつて特別代理人を選任し、その特別代理人が単独で代理すべきである」と主張するものである。
本判決は、原判決の見解を支持することにより、右の第二説をとつたものであるが、最高裁判所の新判例として、注目に価する。
注(一) 「註釈親族法」(下)七六頁薬師寺担当、東高昭三三・一・二三決定下民集九巻六号六五頁
なお上告理由同旨
注(二) 我妻・立石「親族相続法コンメンタール」二八一頁、昭三四・五・二一大阪家裁家事部決議同決議録三〇二頁、昭二三・九・二一民事甲二九五二号民事局長回答、神戸地昭三一・一〇・五決定下民集七巻一〇号二八二五頁
なお原判決東高昭三三・六・一七判決九巻六号一二〇六頁
注(三) 青山「家族法論」二〇四頁、小石「先例親族相続法」二七七頁、「註解親族法」二六四頁小山担当、「ポケツト註釈全書(2)親族相続法」一五九頁市川担当、昭三〇・一二・一八最高裁家庭甲一三五号家庭局長回答、新潟地高田支昭三一・三・五下民集七巻三号五〇五頁
上告人 青山みす 外一
被上告人 伊藤達郎
右当事者間の土地建物所有権移転登記手続請求事件について、東京高等裁判所が昭和三三年六月一七日言い渡した判決に対し、上告人らから全部破棄を求める旨の上告由立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告人青山みす代理人弁護士北川省三、上告人株式会社日本相互銀行代理人弁護士横尾義男、上告人両名の復代理人弁護士鍛治利一及び同吉田賢三名義の上告理由第一点について。
しかし、当裁判所は、本件のような場合には、利益相反の関係にある親権者は特別代理人の選任を求め、特別代理人と利益相反の関係にない親権者と共同して代理行為をなすべきものとする原判決の見解を正当としてこれを支持し、所論引用の判例の見解をとらない。それ故、所論は採用できない。
同第二点について。
原判決の引用する第一審判決の適法を確定したところによれば、要するに、本件事業の主体は父久文であつて、原告(被控訴人、被上告人)ではないというのである。されば、かような事実関係の下では、本件行為をもつて民法八二六条一項の利益相反行為に当る旨の原判決および第一審判決の判断は正当であつて、所論の違法は認められない。
同第三点について
しかし、原判決の判示によれば、判示売買は、単なる通謀虚偽の表示に過ぎないものではなく、被控訴人を代理する権限のない者が代理してなしたものであると認定し、従つて、全く無効なものであるというのである。されば、原判決には、所論の解釈を誤つた違法は認められない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官の全員一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 斎藤悠輔 裁判官 入江俊郎 裁判官 下飯坂潤夫 裁判官 高木常七)
上告人青山みす代理人北川省三、上告人株式会社日本相互銀行代理人横尾義男、上告人両名の復代理人鍛治利一及び同吉田賢三の上告理由
第一点
一、原判決は民法第八二六条第一項の解釈を誤つた違法がある。
原判決はその理由において
『次に控訴人(上告人)らは、本件不動産譲渡は、仮りに伊藤久文と被控訴人(被上告人)間においては利益が相反して、親権行使をなし得ないとしても、他の親権者たる母美和は被控訴人と利益が相反しないので、右譲渡は親権者美和の親権行使として有効であると主張するのでこの点について判断する。
民法第八百二十六条は単に「親権を行う父又は母とその子と利益が相反する行為については、親権を行う者は、その子のために特別代理人を選任することを家庭裁判所に請求しなければならない」と規定するのみで、一方の親権者のみが、その子と利益が相反する場合にも本条の適用があるかどうかについて疑問の存しないわけではない。
しかし、本条が専ら子の保護を目的としている点と、後述のように、両親権者間の情愛と子の利益を代表するとの関係は微妙なもので、他の一人のみによつては必ずしも子の利益が十分に保護されないおそれがないと断定できない現状とを考慮して、条文の立言を考えれば本条は、親権者の一方がその子と利益相反し、他の親権者が利益相反関係にない場合にもその適用があり、利益相反の関係にある親権者は特別代理人の選任を求め、特別代理人と、利益相反の関係にない親権者と共同して、代理行為をなすべきものと解するを相当とする。
なるほど、同法第八百十八条第三項は、父母の一方が親権を行使し得ないときは、他の一方のみでこれを行い得る旨を規定しているが、この規定の予想する場合は通常当該親権者の親権行使に際しての判断に他の親権者の影響は考慮する必要がなく、子のために自由に判断し得るような場合である。それらの利益の相反する場合においては、当該親権者の一方に重大な利害関係が存するのであるから、他の一方の親権者は利益相反する親権者とその生活を共同する関係にあるため、純粋に子の為めにのみ判断をなし難く、他の親権者の利得行為に反対し難い事情にある。現に、本件の場合でも上記認定のような経過でなされたので、特に親権者において被控訴人個人の利益を考慮した事情はなにも認められないし、このような特殊な実情にある場合をも、その危険性のない通常の場合と一律に、右八百十八条第三項の適用があると解することは、子の利益を保護しようとする第八百二十六条の立法趣旨を殆ど没却することになる。したがつて、本件の場合において特別代理人の選任を要さないとする控訴人らの主張は採用できない。』
と判示した。
二、しかし、親権を共同に行使する親権者の一方と子との間においてのみ、利益が相反する行為については、他方の親権者は、一方の親権者につき生じた個人的事情によつて自己の親権の行使を妨げられる理由はない。従つて、他方の親権者はその親権行使につき何等の制限をも受けないものと解すべきである。
このことは、民法八一八条三項が「親権は、父母の婚姻中は、父母が共同してこれを行う。但し、父母の一方が親権を行うことができないときは、他の一方が、これを行う。」と規定し、親権は父母が婚姻中であるときは共同して行使するを原則とするけれども親権者の一方が事実上又は法律上の理由により親権を行うことができないときは、他の一方が単独で行使できることを認めているのでも明らかである。
そうすると、子と利益の衡突する親権者は親権の行使から除斥され、その親権の行使に「法律上」の障害を生ずるけれども子と利益の衝突しない他の親権者は、親権の行使に何の障害もない。即ち、前者のみが親権の行使不能なのであり、後者は単独で親権を行使することができ、特別代理人は選任する必要はない。
斯様に民法八一八条三項との関係において、民法八二六条一項の趣旨を考えるならば、共同親権の場合に一方の親権者のみが子と利益が相反する行為をするときは、子と利益の相反しない他方の親権者がその子の代理人(単独親権)となつて親権を行使すればよいのであり、特別代理人の選任を要しないものと解さねばならない。
親権は、親の義務であるのみならず権利でもある。その地位は法律により保障され一定の事由がなければ剥奪されず(民法八三四条)、又自らも恣意的にその地位を放棄することは許されない(民法八三七条)。
これは父母が、その子に対して最も深い愛情を持ち、また利益に行動する本然的傾向を有するものであるに鑑み、能うる限り父母又はその一方に親権を行使せしめようとする精神のあらわれに外ならない。
従つて、親権行使につき法律上、事実上何等の障害のない父又は母が存在する限り、親権はこれをして行使せしむべきものと云わねばならない。
民法八一八条三項但書によれば、父母が共同して親権を行使する場合に一方が、親権を行使できないときは、当然他方親権者が単独にこれを行うものと規定するから、同法八二六条の障害事由により一方親権者が親権を行使できないときは他方親権者が当然単独に親権を行使できる筋合といわねばならない。
三、民法第八二六条第一項は「特別代理人を選任することを家庭裁判所に請求しなければならない」と規定しているけれども、これは利益衝突による親権者の親権の制限の結果、その行為に関し、親権者がなくなつてしまう通常の場合に著眼して立言したものであつて、一方の親権者の親権が制限されても、他方の親権者が親権を行使し得る場合にまで特別代理人の選任を要するものとする趣旨ではない。本件においては親権者たる母美和は何等親権行使の障害はないのだから、同人が単独に親権を行使し得るのである。(中川善之助教授著、註釈親族法下巻七七頁)
また東京高等裁判所昭和三二年(う)第四一号同三三年一月二三日決定(東京高裁判決時報九巻一号六頁)も同じように「抗告人等はまず本件競売申立の基本となつた根抵当権設定契約およびこれに附随する手形取引契約、無尽の加入ならびにこれが無尽掛金弁済契約は、抗告人利男とその親権者である抗告人利徳の利益する行為であるところ、抗告人利徳は抗告人利男のため特別代理人を選任することなくして自ら抗告人利男を代理してなしたものであるから当然無効であるか少くとも抗告人利男のなした取消の意思表示により無効になつたと主張する。
しかし乍ら成立に争ない甲第一ないし五号証によれば、これ等契約の締結、右契約に基く約束手形の振出、本件無尽給付金の受領については、抗告人利男の親権者として抗告人利徳のほか抗告人利男の母小出としも関与しているのであつて、従つてこれらの行為が仮に抗告人ら主張の様に、抗告人利男と抗告人利徳の利益相反行為であるとしても、親権の行使から除斥されるのは抗告人利徳だけであつて、抗告人利徳と利益の衝突しない他の親権者である小出としは除斥されることがないから単独で親権を行使することができるものというべく、従つて特別代理人を選任する必要は少しもなく、同人がその親権の行使として抗告人利男を代理してなした本件各行為は有効であつて、たまたま除斥さるべき抗告人利徳が関与しているからといつてその効力を否定すべき限りではない。これは民法第八一八条三項の趣旨からもうかがい知ることができるのであつて、同法第八二六条一項は利益衝突による親権者の親権制限の結果当該事項に関し親権なきにいたる通常の場合を著眼して立言したまでであつて、一方の親権者の親権が制限されても他方の親権者が親権を行使しうる場合にまでも特別代理人の選任を要するものとする趣旨でないと解するを相当とする。」
と判示している。
四、原判決は民法第八一八条第三項について「この規定の予想する場合は通常当該親権者の親権行使に際しての判断に他の親権者の影響は考慮する必要がなく、子のために自由に判断し得るような場合である。それなのに利益の相反する場合においては、当該親権者の一方に重大な利害関係が存するのであるから、他の親権者は利害相反する親権者とその生活を共同にする関係にあるため、純粋に子の為めにのみ判断をなし難く、他の親権者の利得行為に反対し難い事情にある」と云つているが、
民法八一八条第三項にいわゆる「親権を行うことができないとき」には準禁治産者をも包含している。(明治四四年(オ)第二九八号同年一一月二七日大審院判決・民録一七輯七三〇頁)
故に父が準禁治産者であるときは、その妻たる母が単独で親権を行使するのである。
準禁治産は浪費者についても宣告されるのであり、浪費者たる父が親権の行使から除斥されても、その生活を共同にする妻たる母が親権を行使するから、原審の判示するような懸念は存するわけであるが、それだからとて、母の親権単独行使を否定する理由とはならないのである。
要するに親権行使に支障のない父又は母が在る限りはその者に親権を行使させるのが民法の精神と云わねばならない。
故に、親権共同行使の親権者の一方と子との間においてのみ利益衝突を生じたときは、利益相反の関係にある親権者は特別代理人の選任を求め、特別代理人と、利益相反の関係にない親権者と共同して、代理行為を為すべきものと解するを相当とすると判示した原判決は、民法第八二六条第一項の解釈を誤り、前記判例に反するものであり、破棄を免かれない。
第二点
一、原判決の引用する第一審判決は、
「たしかに久文の事業計画が原告をも含めた一家の生計のためであつたことは証拠により認め得るところであるけれども事業の主体は父久文であつて原告ではない。原告はもともと未成年の子として親から養護を受け教育をして貰う権利がある訳で原告がいま久文の事業に依つてそのような日常生活の上で利益を受けたとしてもそれは父親が事業をしたことによる言わばひとつの反射的な結果であつて事業そのものが直接原告の利益のためとは言い得ないし事業に関し原告所有の財産を処分するに就ては原告の利益をも考慮しないでもなかつたとしてもその考慮は動機とか縁由になつたと云うまでのことであつてその処分が久文が自己の債務の弁済に代えてなしたものであり行為自体は原告の利益のためとは云い得ないことである。」
と判示する。
二、しかし、民法八二六条一項にいう利益相反する行為とは「親権者の為に利益にして未成年者の為に不利益なる行為」をいう(大審院大正九年一月二一日判決・民録二六輯九頁、同昭和六年一月二四日判決・民集十巻一一〇八頁)のであるが、本条が子の利益保護を目的とする趣旨よりみて、それは単に例えば親と子が契約するというような対立的な立場で子の財産の処分する場合だけでなく、広く単独行為の場合も、又親権者が自己の債務につきその債権者たる第三者に子の財産を担保に供するが如き場合をも、実質的に子の利益を害するものはこれに含まれると解される。しかし、それは実質的にみて、親が子の財産を自己の利益のために処分する場合に限られるのであつて、この点民法一〇八条の自己代理又は双方代理とは異る。従つて、親権者が子の財産を処分する場合でも、親が恣意的に処分したのではなく、子のため、又はその子をも含めた父母兄弟等家族の生計維持のため已むなく処分したような場合は本条から除外され、親権は何等の制限も受けぬものといわなければならない。
凡そ、父母子の家族共同体は、新法の下においては各自独立の人格としてその独立性が尊重された者同志の集団ではあるけれども、情愛的、経済的生活の面においては他のどの共同体より密接不可分的な関係にある。
夫婦が相互に協同して、生活を保障し合うことは、婚姻関係窮極の基盤であり、又親が未成熟の子を養うのは、その子の生活を自己の生活の一部として維持する事で、それは親子関係の根本基調なのである。
法的にみても家族共同体はこのような密接不可分な関係にあるから、未成年の子に財産があり、親が失業状態にあつて一家の生計を維持するには、その財産を処分するの外ないような場合は、利益相反行為に該らぬものといわねばならない。それはその子を含めた父母兄弟の生活維持のためのものであつて、親権者たる父母の利益のためのものではないからである。
本件をみるに、
(イ) 第一審証人高島岩治郎の証言には
「九、私は高田市で生れ昭和二十六年十二月直江津へ行つたものですが、その前から伊藤を知つておりました。
二十七年頃は伊藤は仕事もなく非常におちぶれておりました。」
(ロ) 同柳沢昇一の証言には
「四、その話が駄目なので伊藤はその六月青山のところへ来たのです。そして方々で仕事をし失敗したがもう一度北海道へ行き仕事をしたいが金がない、何とか相談にのつてくれと云うのです。そして相談の結果青山真治は友達でもあり伊藤は信用も無いのでその息子達朗名義の土地建物を青山の名義にしその物件で金を作ることになつたのです。
五、その際伊藤は、仕事をして家族も養わなければならないから、妻や息子の承認を得てその土地建物を処分するのでありこれが最後の勝負だとも申しておりました。」
(ハ) 同青山真治の証言は
「四、その会社が倒産したので久文は生活困窮し売り喰いの状態でした。
五、原告は当時直江津高校に在学中でしたがその学級費は父久文の収入でやつていたのです。」
「八、その話が駄目になつた為め伊藤は、家屋敷を元に資金を心配してくれと再三私のところへ頼みに来たので私も家内と相談したのです。
伊藤は又鯑は時期のもので今買付けておけば絶対損はないとか、この家屋敷を元にして一家を支えて行かなければならないから是非これで資金を心配してくれとか申すので私共もそれを承知し鯑なら私の方もよいし、それで先方をも助けることになると云うことから五、六十万円出すことにしたのです。」
(ニ) 第一審における上告本人青山みすの供述には
「四、久文は世帯主で妻子は別に商売はなくその会社の経営で生活をしていたのでそれが潰れたので伊藤家は生活の本拠を失つてしまつたのです。原告はその当時父の収入で直江津高校に在学中でした。」
とあつて、被上告人の父伊藤久文は昭和二七年春頃は事業に失敗して、仕事もなく、生活に窮して売り喰いの状態にあつた。そこで久文は上告人青山みすの夫真治の資金協力をうけて生計を維持、確立する為、被上告人の共同親権者である妻美和の同意及び当時満十七歳に達していた被上告人の同意を得た上、上告人青山夫妻に懇願して本件不動産を担保に提供し、当時の被上告人家の生計の維持及び将来の生計を確立するための事業資金を得たものであることが認められる。
子が財産を有し、親が無一物でその日の暮しに困るのに、なおその子は親に対し扶養を要求し、自分の財産は大事に金庫に納めておくということは前記家族共同体の条理に相反し、道義上許されないことはいうまでもない。
その様な場合、矢張り、子は自己の保有財産を処分し父母兄弟の生計を雑持すると共に、将来の生計確保のため、父母に有する資産を提供する義務がある。すなわち、斯様な場合の親の処分行為は、民法八二六条一項にいう利益相反行為に該当しないものといわねばならない。
三、原審は「原告はもともと未成年の子として親から養護を受け教育をして貰う権利がある訳で原告がいま久文の事業に依つてそのような日常生活の上で利益を受けたとしてもそれは父親が事業をしたことによる言わばひとつの反射的な結果である」と云ふが、直系血族は互に扶養する義務がある(民法第八七七条)。親が子を扶養すべきもので、子は親を扶養する義務なしと云うべきものではない。親に資産なく子が資産を有するときは子が親を扶養することとなるのである。
而して、子が親から養護を受け教育をして貰うことは、親が未成年である子の保護者としての役目から行うもので、それに要する費用は誰が支弁するかということとは別問題である。
子は常に親の支出によつて養護を受け教育をして貰う権利があるのではない。父母と共同に生活する未成年者も、共同生活の構成員として、これが維持に協力する義務を負担するのであつて、父母がその生計の資を得る事業に失敗したが、子は資産を有する場合には、子の資産を使用して、その事業を再開し、子も、その内にあつて生活をなし、父母から養護を受け教育をして貰う所以の収入を得るため、その資産を運用するのは、子の利益ないし共同生活の一員として当然なさねばならぬことに使つたことであり、親子共同の利益のためにしたことなのである。従つてかかる親権者の行為は子の利益と相反するものではないとせねばならない。
四、又自己が未成年であるとき右のような状態にあつたため、親に自己の財産の処分を委せ、その処分行為により生活の資を得て共同生活を維持し、また教育をも受けることができたもので、即ち、その利益を受けて成年になつたのに、今になつて利益相反行為であるとの外形を楯に、恩義を受けた者から、無償がこれが返還を求めるのは著しく信義則に反するのみならず取引の安全を害すること甚しい。
然るに、これをもつて、上告人は本件不動産の処分行為によつて利益をうけたけれども、それは単なる父親が事業をなしたことによる反射的利益にすぎないと判示した原判決は、民法八二六条一項の解釈適用を誤つたか、審理不尽、理由不備の裁判というべく、破棄を免がれない。
第三点
一、原判決はその理由において
「控訴銀行(上告銀行)は更に本件譲渡が実体上は伊藤久文の債務の弁済に代えたものであるとしても、被控訴人(被上告人)の親権者と控訴人(上告人)青山みすとの間においては単純な不動産売買として表示せられ、控訴銀行は右表示行為を信じて、本件根抵当権の設定契約を結んだものであるから、被控訴人は善意の控訴銀行に対して右譲渡の無効を主張し得ないものであると抗争する。本件不動産の控訴人みすへの譲渡の形式が控訴銀行主張とおりであることは上段認定のとおりであり、右売買契約は通謀虚偽表示であると認めることはできるが、右通謀虚偽表示をなしたものは被控訴人を代理する権限のないものが代理してなしたことも上段認定のとおりであるから、全く無効なものであつて、善意の第三者でもこれを有効と主張し得ないものであるから、この点に関する控訴銀行の右主張は理由がない。」
と判示した。
二、しかし、被上告人の親権者たる伊藤久文、伊藤美和(被上告人の父母、以下父母と称する)は被上告人を代理し上告人青山みすに本件不動産を売渡したりとして、右売買契約に基く所有権移転登記を経由したことは争ないところである。
然るに右は代物弁済として所有権を移転したものであるのに右のように売買契約によつて所有権を移転したものであるから、右売買契約は通謀虚偽表示である。
そうすると民法第九四条第二項により、表意者は善意の第三者たる上告銀行に対して、売買契約であることを否定し、代物弁済を主張することはできないものである、
三、親権者は未成年者たる子を代理して、子の所有不動産を売渡す権限を有すること疑がない。
本件においても被上告人の親権者たる父母は被上告人を代理して上告人と本件不動産の売買契約をなし、売買契約による所有権移転登記を経由したのであるからその有効なこと多言を要しない。
従つて、それが真実は代物弁済であるのを偽つて売買契約を締結したのであり、右は通謀虚偽表示であつたとしても、もともと、父母は被上告人の代理人として売買契約をする権限があるのであるから、売買契約締結の表示行為を為した以上は、これによる売買契約は基く所有権移転登記に信頼して、買受人たる上告人みすから当権の設定を受け資金を貸与した上告銀行に対し、売買契約の存在を否定することを得ないもの、言い代えれば、売買契約は虚偽無効のものであると、その存在を否定することができないのである。これが民法第九四条第二項の「前項の意思表示の無効は之を以て善意の第三者に対抗することを得ず」の意義である。
蓋し売買契約を締結した旨の意思を表示して、その旨の所有権移転登記を経由した以上は、第三者はこの表示に信頼して取引するのは当然だから、自ら、そのような事態を発生せしめながら、後になつて善意の第三者に対して、これと異る主張を許すことは信義則ないし禁反言の理にも反するからである。
四、而して民法第八二六条第一項の所謂利益相反行為であるかどうかは専ら其行為自体に付て之を判断すべきものであり、それを為した動機や縁由を考慮すべきものではない。
故に親権者が未成年者を代表して為す行為自体を観察し利益互に相反する結果を生ずるものと認め得ない限り、たとえ、その行為の動機若しくは縁由において一方の為に利益で、他方の為に不利益なものであつたとしても、ここにいう利益相反する行為と云うべきではない。 若しそうでないとするならば、かかる行為の表示に信頼して瑕疵なきものと信じて取引した善意の第三者をして不測の損害を蒙らしめ取引の安全を害するからである。(昭和九年(オ)第一八七八号同年一二月二一日大審院判決・法律新聞三八〇〇号八頁、大正七年第四四二号同年九月一三日大審陸判決・民録二四輯一六八四頁)。
であるから、
親権を有する父が子の法定代理人として其の財産を他人に売却する行為は、子と利益相反する行為ではない。その売得金を父の利益の為に使つたとしても、それは右売買行為の動機ないし縁由であり得るに過ぎず、売買自体が所謂利益相反する行為でないのである(昭和一二年(オ)第一九八〇号同一三年四月二二日大審陸判決、昭和九年(オ)第一九四八号同年一二月二一日大審院判決・法律新聞三八〇〇号七頁)
また、「仮令上告人甲の父親権乙が自己の定期米取引の資金に供するの目的を有したりとするも苟も未成年者たる甲の代理人として甲の名に於て本件消費貸借契約を締結したる以上其の効力は甲に対し生ずべく此場合所論の如く民法第八八八条(現行八二六条一項)の適用あるものと解すべきに非ず、蓋し右の如き場合は親権者に於て他日其の代理行為たる消費貸借に因り得たる金円を自己の用途に供せんとするの動機に出でたるに過ぎず其の代理行為たる消費貸借契約自体に付之を観るに毫も親権者と其の子との間に利益相反するの関係を有するものと断ずるを得ざればなり」(昭和八年一月八日大審院民事部判決。)
である。
更に親権者が未成年者を債務者とする根抵当権設定契約を締結して未成年者所有の不動産上に抵当権を設定すること自体も親権者と未成年者と利益相反する行為ではない。
然らば、被上告人の父久文が親権者として本件不動産を被上告人みすに売渡す行為それ自体子と利益相反する行為ではないから民法第八二六条第一項の適用はない。
従つて右売買契約に基く所有権移転登記に信頼して買主たる上告人みすとして根抵当権設定契約を為した上告銀行は有効に権利を取得したものと言わねばならない。
然るに原審が上告銀行の抵当権を否定したのは民法第九四条第二項、第八二六条第一項の解釈を誤つたものであり破棄を免がれないと信ずる。